マックス・U-18大賞
マックス・U-18大賞 < 高校生の部 >
ぽんさん(福井県 / 18歳)

私はいつからか父と上手く話せなくなった。いつから話せなくなったかは覚えていないが、昔みたいにふざけ合ったり、一緒に笑い合ったりすることが減ってしまった。決して父が嫌いなのではない。ただの思春期だからというのは自分でも分かっている。でもこんなことは誰にも相談したくなかった。私の対応がそっけなくなっていき、父も私と話す時は少し遠慮するようになった。私はそれが辛かった。でもやはり上手く話せない。
私の進路を決める時、母からは最初反対された。しかし、私は他の進路は考えられなかった。反対されたことに悲しんでいた時、父が私の部屋に来て「夢があるならお父さんは全力で応援するよ。」と一言だけ言って出て行った。たった一言、その言葉に私は勇気づけられ感動した。今まで最低と自分でも思ってしまう態度にも何も言わず、ただ娘の夢を応援してくれている。誰よりも私のことを考えてくれている。それが伝わり私は涙が止まらなかった。「思春期だから」なんてそんなの言い訳でしかない。こんなに大切に育ててくれた父と、もっとたくさんの思い出を作りたい。もっと話してもっと笑い合いたい。そして自分の夢を叶えて、応援してくれる父に喜んでもらいたい。そんな感謝と自分の思いを込めて私は、「お父さんありがとう。絶対に夢を叶えるね。」と言った。
「大好き」はまだ照れくさくて伝えられなかったけど、今も昔も私は父が大好きだ。
マックス・U-18大賞 < 中学生の部 >
ルロイさん(東京都 / 15歳)

「愛子先生!」私たち孫は祖母のことをそう呼んでいる。私は姪からこの愛称を教えてもらった。というのも、祖母は昔、小学校の先生をしていたそうだ。そのせいもあって、祖母は私たちにたくさんのことを教えてくれる。
しかし、その内容は算数や国語などではなく、人生で大切なことや、どんな人であるべきかなど。そんな祖母の教えで最も印象の強い言葉は「いっぱい愛をぬってあげんさい。」というものだ。愛をぬる?私は昔、聞いてみたことがある。「なんで愛子先生は愛をぬるって言うの?」「愛は何にでもなれてね、人の心を癒せるのさぁ。『イタイのイタイの飛んでけ』でなでるのも、あれ愛をぬってあげてんのさ。」と祖母は答えた。
愛をぬること。ぬられること。きっと誰もが無意識にして、されている。では私はいったいどれほどの愛をぬられて、ぬってあげられているのだろうか。そんなことをふと思いながら、私たちはきっと明日も愛をぬり合う。そうでしょ?愛子先生!
マックス・U-18大賞 < 小学生以下の部 >
K・Nさん(佐賀県 / 7歳)

「スラマッパギー。」
私がようちえんのころインドネシア人のおともだちがようちえんにくるようになりました。その子のおかあさんは、長いぬので頭をつつんでいました。おともだちは、日本語がしゃべれませんでした。でも私は、おともだちになりたくて、日本語で「おはよう。」って言ったらえがおで手をふってくれました。私は、言葉がわからなくてもつうじたんだと思ってとてもうれしくなりました。それから、おともだちはインドネシアの言葉で、私は日本語でおはなしをしていると、だんだん言っていることがわかるようになってきて、なかよしになってきました。「スラマッパギー。」がインドネシアの言葉で「おはよう。」っていうのもおともだちにおしえてもらって、まいあさおともだちに「スラマッパギー。」とあいさつするようになりました。
ある日おともだちのおうちにあそびにいくことになりました。いくとおともだちのおかあさんがインドネシアのおりょうりを作ってくれていました。しおラーメンのようなものの上におにくがのっていたたべもので、一口たべてみると、たべたことのないふしぎなあじでちょっとびっくりしました。おともだちはおいしそうにたべていました。私がちょっとふしぎだなぁと思うようなたべものを、インドネシアのおともだちはおいしそうにたべているってどうしてだろう。じゃあ、日本のりょうりはインドネシアの人にはふしぎなあじがするんだろうか。ほかのくにはどうなんだろう?いろいろかんがえているとたのしくなってきました。
「スラマッパギー。」ははじめてのがいこくのおともだちとなかよくなれたまほうの言葉です。