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Award Result2

マックス「心のホッチキス・ストーリー」

結果発表

募集期間 2011年10月3日(月)~ 2011年12月11日(日)

応募作品の傾向

作品を公募した2011年は、東日本大震災の悲惨な被害状況が報道される一方、我欲に走らず助け合う人々や積極的な支援活動が明るい話題として取り上げられるなど、希薄になったと言われていた“絆”や“思いやり”の大切さが再注目された年でもありました。

そのような中で集まった2,307件の作品は、“大震災で気づかされた絆”や“被災地を心配する思い”、“何気ない日常こそが何よりも幸せな瞬間”などのテーマが多く見られ、震災から前向きに力強く立ち直っていこうとする人々の姿が目に浮かび、選考しながら大いに心を動かされました。

また、高校生以下の作品では、“同級生との人間関係”や“祖母から学んだ大切なこと”、“大人になっていく過程での悩みや気づき”など若い感性が素直に表現された作品が多く、「マックス・U-18大賞」を新設した意義を感じました。

マックス・心のホッチキス大賞

今村 大輔さん(神奈川県 / 20代)

今村 大輔さん(神奈川県 / 20代)

「母ちゃん ごめん 頑張ったけど なにせ学生の就職超氷河期の時代できまらない 浪人して迷惑かけるわけいかないから 社員三人のモノヅクリ町工場へ就職しました。恥ずかしいので正月は帰省しない お許し下さい」との便りを出したら 折り返し母から電話があった。

“お母さん お前に腹が立ったよ なぜ町工場が恥ずかしいの なぜモノヅクリが恥ずかしいの 町工場への就職おめでとうって大声をあげてやりたいよ” “あらためておめでとう お母さんはよくわからないけど この日本は 一流企業でなく モノヅクリの町工場が支えているって言うじゃないか 大企業は一本の大木だが 町工場は森だよ 高い木 細い木 それぞれが個性を発揮して 全体で森を造っているだろ 一本の大木より 森の厚さが強いんだよ。” “町工場への就職 何が恥ずかしい! お父さんもお兄ちゃんも 妹も みんな待ってるよ お正月 胸を張って帰ってきなさい”

涙がこぼれて止まらない 家族っていいなー つくづく思う。

マックス・U-18大賞

ふぐ太郎さん(東京都 / 14歳)

ふぐ太郎さん(東京都 / 14歳)

小さな頃から友達を作るのが苦手だった。小学校の通信簿、「人の気持ちや立場を理解し、友達と仲良く助けあう」評価にはいつも「がんばろう」がついた。

決して人と話すのが嫌いではない。むしろ家ではおしゃべりな方で、くだらない冗談を言って家族を笑わすこともある。

それなのに、学校に行くとなぜか喉がキューとなって何だか声が出にくくなる。

何を話したら良いのか分からなくなる。

話す人もいないからいつも机に1人座って読書している僕をみんな変わっていると思っているかな。

いじめられているわけではない。でも空気みたいな存在はやっぱり寂しい。

これからもずっとこんな日が続くのかと思っていたあの日、「こっち来いよ、一緒にメシ食おうぜ。」

いつも1人で食べている僕を誘ってくれた席が近くのクラスメート。初めは自分に話してくれたとは思わなくてぼーっとしていたらニッと笑ってくれた。

嬉しくて嬉しくて……ドキドキしながら机をくっつけた。くっつけた机と一緒に心まで触れた様な気がした。

あぁこの瞬間を僕はずっと留めておきたい。

マックス賞

あや花さん(宮崎県 / 10代)

あや花さん(宮崎県 / 10代)

お父さんの好きな色は青色。

一人暮らしをはじめて数か月。父の日に贈り物をしたことのなかった私は初めてのバイト代で父のネクタイを買いにきた。

そういえばお父さんのネクタイなんてじっくりと見たことなかったな。

「なあ、小さいときにぐるぐる公園に連れて行ってやったの覚えとるか?」

そう尋ねた父に私は何気なく「そんなん覚えとらん」と返した。

反抗期を迎えた私に「小さいときは可愛かったのに」と言った父はどこか悲しそうだった。私は何をしてあげただろう。小さいときの思い出さえ思い出せない。優しくしてくれた父の姿もはっきり思い出せない。思い出が全部ホッチキスできればいいのに。何度も何度もパチンパチンって幸せの音を鳴らして。そうしたらお父さんの好きな色も思い出せるのに。

携帯電話を取り出して父の名前を探す。少し緊張気味にボタンを押す。

「ねえ、何色が好き?」「何よ?いきなり」「ええけん」

少し声が震えて、頬に涙が伝った。

「青かなあ」

「ねえ、ぐるぐる公園、いつかまた連れてってくれる?」

失くした思い出はもう一度取り返せばいい。少し形は違うかもしれないけど、これからはちゃんと心の中に1つずつ留めておきたい。

「おーまたいこうや」

父の優しい声に、普段通り答えて電話を切った。いつもと違うのは目の前が涙で歪んで見えることぐらい。

お父さんの好きな色は青色。

私は涙をぬぐって青色のネクタイを手に取った。

一太郎さん(愛知県 / 60代)

痛い足を引きづりながら地下鉄に乗り込んだ。そこには、茶髪に耳・鼻リングの若い男性が三人、身体をくねらせながら奇声を上げていた。同じようにデコレートした服装をした娘さんも二人ほどいた。

「しまった。関わらないようにしなければ」と、思いながら、妻にも目で注意した。すると、つり革で懸垂していた男性の一人が「足の不自由な人に席を譲れ」と、席に座っている仲間の青年に声をかけた。

「大丈夫だから」と、関わりを持ちたくなかった私は、恐縮しながら丁重に断わったが、青年たちは、そんな遠慮にも耳を貸さず、一斉に直立して席を空け、譲ってくれた。私は、その手際の良さに、緊張して、自然な流れで席に座った。青年たちは、あれほどふざけていたのに、静かになり、降りる時には「早く治るよう、祈ります」と声をかけてくれた。私は、お礼の言葉も忘れていたことを恥じた。

BIWAKOさん(滋賀県 / 60代)

「ずっと見てたよ。もう幸せになる権利は、十分にあるから」「何か、娘を送り出す親の様な気持ちやわー」と笑顔の娘。十年間の親子三人の生活から、四十八才の私は、五十二才の彼の所へ。その頃知り合いの人が、やはり再婚話しがあって、その事を息子さんに話すと、「血迷ったか?」のごとく大反対され、あきらめた人を知っている。娘は言った「反対というその言葉のウラには、一人の人間に対して、一生涯、責任と覚悟が必要である事を、その人は全くわかっていない」と。私の結婚生活は、三年弱という夫の病死で終わった。短かったが充実した毎日。

あの時、娘と息子が送り出してくれた『幸せの権利』を心にしみ込ませた歳月でした。あれから十数年、娘は結婚し、彼女自身二度の流産と夫の入院という試練にもあっている。「苦しかった分、つらかった分もっともっと幸せになる権利があるのよ。そしてありのまま、思うままの自分を大切に」。今度は私からアナタへ。

ふっきーさん(京都府 / 40代)

妻と私と小学一年の娘の三人で、近所のスーパーへ買い物に行きました。その帰り、義援金を寄付しようと郵便局に立ち寄りました。

郵便局備え付けの振込用紙に、3000円と金額を記入しようとしたら、「ねえねえ、義援金ってなに?」と娘が聞くので、「東北で地震があってね、困ってる人がたくさんいるから、お金を送ってあげるんだよ」と答えました。

すると、娘は妻と何やら相談し、すぐにこう言いました。

「ミカもお小遣いを送る」

「えっ、ミカちゃんは色鉛筆の36色セットが欲しいから、お小遣いをコツコツ溜めていたんじゃなかったの」と聞き返すと、「いいの。ミカも、困ってる人を助けたい」と、きっぱりと言いました。妻は後ろでニコニコと微笑んでいます。

私はそのとき、被災地を思う娘の優しい気持ちと、娘が思いやりのある人間に育っている嬉しさ、それから、今の家族の幸せが、ずっと続けばいいなと思いました。

振込用紙には、3500円と記入して窓口に出しました。

N.Kさん(大阪府 / 10代)

僕は小学生の時から祖母の介護をしています。祖母の家は茨城県のため、年に一・二回しか行くことができません。介護はたった一週間だけでも生活パターンが変わります。食事の介護では自分の食事は後回しで、水を飲ませるだけでものどにつっかえ、咳き込んだりするので、常にティッシュを用意しておかなければなりません。脳の病気で五分も記憶がもたない為、おかしな話をしたり、同じような話を何度も繰り返し話します。夜寝ている時も十五分おきに「トイレ!」と言っては、かかえてポータブルトイレに座らせたりと大変です。ただ、そんな祖母でも僕のことを動く右手で力強く抱きしめて「帰らんといて」とよく泣きます。

中二の夏、僕と母はいつものように介護目的で祖父母の家へ行きました。着いて顔を見るなり、突然祖母が僕の母に語り始めました。「お母さんは皆が言う愛って何なのかずーっとわからんかったんよ。最近分かったんやけど、愛って“そばに居る”ただそれだけなんよ。」と。この言葉は生涯忘れません。人として大事なことを教えてくれる祖母に、貴重な経験や今後の人生に役立つような事を教えてくれたので“ありがとう”を伝えたいです。

エミさん(大阪府 / 10代)

ああそうだ、バラにしよう。ふと思いついたのは水曜日、現代社会の授業中。かつ、かつと白線の引かれる黒板を見つめて、心の手帳にそっとメモした。

次の火曜が、姉の二十歳の誕生日。

十歳になる頃には、もう母はいなかった。姉弟で一番明るい姉。そうは見えなくても、たくさん苦労をかけたと思う。十年。母が姉を育てたのと、もう同じだけの時間。今年の誕生日には、少しだけ、何か特別なことをしようと漠然と考えていた。うん、バラ。我ながら良い選択。学校帰りの電車の中。片手にはケーキ。お花屋さんで深紅のバラを一輪。買うのがこんなに緊張するなんて、私もまだまだコドモなんだろう。教科書の詰まったカバン、自転車。右手のバラと左手のケーキの、なんと気を遣い重いこと!未だかつてこんなに精神をすり減らして帰ったことはあっただろうか。でもそれももう少し。わざと荒っぽく扉を蹴る。仕込みはカンペキ。さて、私のお姉様はどんな顔で迎えてくれるのか。

ちょっぴり不機嫌な鼻先に突きつけた、一輪だけのバラの花。びっくりしながら受け取った嬉しそうな笑顔が見られたから、妹は満足です。お誕生日おめでとう。

レサム桜ローラさん(大阪府 / 10代)

私は、おばあちゃんっ子です。

両親が共働きでいつもおばあちゃんとお留守番していたせいか私の小さい頃のどの思い出にも側にはおばあちゃんがいました。

そんなおばあちゃんの口癖は“がんばる人がえらい人”です。

いつも何か私が頑張っていると、すーっと横にでてきて、「桜ー、がんばる人がえらい人やで」と言ってくれます。

中学校三年の冬、おばあちゃんは夜おそくまで塾で勉強している私のためにいつもおにぎりを作ってくれました。しかし私は第一志望の高校に落ちました。いつも、おにぎりを作って送り出してくれたおばあちゃん、どれだけテストが悪くても「次頑張ったらしまいやー」と笑って励ましてくれたおばあちゃんに恩返しできない自分が悔しくて悔しくて仕方ありませんでした。

合格発表の帰りおばあちゃんに必死に涙をこらえて、「あかんかったわー、ごめんなぁ。」と電話すると、「桜、よう頑張った。がんばった人がえらい人。ばあちゃんはあんたが孫で本間に嬉しいねんで。」と言ってくれました。次の大学受験では必ず恩返しします。また楽しい話、沢山しようね。おばあちゃん。

柿本 清美さん(和歌山県 / 30代)

十月。生まれつき心臓にあいた2ミリの穴をふさぐため、まだ五歳の次男が手術を受けた。人一倍腕白な次男も前日はさすがに口数が減り、緊張しているようだった。

手術の日の朝。次男は手術着に着替えることをしぶっていたが、着替えが済むと度胸がすわったのか手術室まで気丈に歩き、笑顔で私達に手まで振ってみせた。連れられていく次男の小さな背中が不憫で涙が出た。

そして次男の手術は無事終了。ICUで5時間ぶりの対面を果たした。体中にチューブを通された姿はあまりに痛々しく、夫から不安な顔をするなと釘をさされていなかったら泣きだしてしまったかもしれない。私は、

「偉かったなぁ。よう頑張ったなぁ」
と言うのが精一杯だった。

「大丈夫。心配せんでも痛くないよ」

次男は私の気持ちを見透かしたんだろう、しゃがれた声を振り絞り努めて明るく言った。自分こそ大手術を終えて疲れきっているはずなのに……。次男の優しさと強さが私の心をじんわりと暖かくした。

ぶぅ嫁さん(徳島県 / 30代)

ぶぅ嫁さん(徳島県 / 30代)

2人目の子の妊娠に気付いたのは、長男が2歳の誕生日を迎えてすぐのことだった。

今までは、抱っこをせがめばすぐに抱いてもらえ、私に甘え放題の長男だったが、つわりや日々大きくなっていくお腹の苦しさから、時に十分に甘えさせてあげられないことも増えた。

長男2歳8ヶ月。桜の蕾がふくらみ始めた頃、長女が誕生した。

夫と一緒に病院に来た長男は、産まれたばかりの妹と私のお腹を交互に見比べて一言。

「ママ、もうお腹に赤ちゃん入ってない?」

私が

「入ってないよ。」
とこたえると、ベッドの上の私に抱きつき、

「いっぱい抱っこして。」
と言った。

子供ながらに、私やお腹の赤ちゃんを気遣って我慢をしていたことを知り、胸があつくなった瞬間だった。

これからの人生、親と子でぶつかりあうことも幾度となくあるだろうけれど、この日のことを心に留め続けている限り、乗り越えていけると信じている。

あまてらすさん(宮崎県 / 50代)

「絶対幸せにするから、結婚して下さい。」

そう言われて結婚し、早30年。あの時言っていた幸せって、この程度の幸せだったのね。

「あーぁ、だまされた、だまされた。」

「大丈夫、大丈夫。俺には、大器晩成の相が出てるんだ。幸せにするのは、これから、これから!」

そう、うそぶいていたあなたは病に倒れ、52歳の若さで逝ってしまった。

「あーぁ、だまされた、だまされた。」

私を幸せにするっていう約束は、どうしてくれるのよ!大うそつき!

私は毎日、毎日、あなたの悪口を言って暮らしている。死んだ者の悪口を言うのは、かなり気が引けるのだが、あなたが怒って、化けて出てきてくれるのを待っている。オバケでもいい。あなたに会いたい。けれどもあなたは、夢にさえ出てきてくれない。きっと、成仏できたのね。それならそれで、私はうれしい。