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Award Result9

マックス「心のホッチキス・ストーリー」

結果発表

募集期間 2018年10月1日(月)~ 2018年11月30日(金)

応募作品の傾向

2018年は、ウィンタースポーツ、サッカー、テニスなど様々なスポーツの明るい話題に湧いた一方、豪雨や地震という自然災害もあり、改元を迎えるにあたり、平成に起きた出来事が連日報道され、これまでを振り返る年となりました。応募作品は、「家族」や「友人」との想い出を綴った作品が多く寄せられ、大切な人がくれた言葉や行動がしっかりと心に刻まれ、その人の未来につながることを感じました。

「マックス・心のホッチキス大賞」は、祖母からの電話をきっかけに名月を見ることができた女の子が、その感動を大切な人に伝えていくことで心温まる体験をした作品です。誰かの「心を温かくする事」は日常の中に溢れており、家族や友達への想い・行動をとおして受け手だけでなく、伝え手の心も温まることに改めて気づかされる受賞作品でした。

「マックス・U-18大賞」は、祖母の最期に、これまでの感謝をこめて祖父がこぼした言葉から、2人が過ごした幸せな時間を感じた作品など3作品が、「マックス賞」には、転職を繰り返してきた妻が、大工一筋の夫の一言で自分に自信を持つことができた作品など5作品が入賞しました。

マックス・心のホッチキス大賞

さくりんさん(東京都 / 10歳)

さくりんさん(東京都 / 10歳)

昨ばん、十六時ごろ祖母から電話が鳴りました。

「桜子ちゃん今、東の空にとてもきれいなお月様が見えるから見てごらんなさい。今日の月は後の月といって名月なのよ。」と教えてくれました。本当?ありがとう!私は外へ走って行き、夜空を見上げるとこうこうと静かに大きな月が夜空を照らしていました。まぶしいくらいに明るくて印象的な月でした。大阪に住む祖母も同じ月を見ていて、私の事を思い出してくれたんだなぁと心に灯りがともるような気持ちになりました。出張で岡山にいる父にも伝えたくなり、電話をしました。

「あ、本当だ。こんなにきれいな月だったんだね。初めて気がついたよ。教えてくれてありがとう。」
と父は言いました。私の心も明るくなりました。

そしてこの事を大切な友達にも伝えたいなぁと大好きな友人の顔を三人思いうかべました。明日学校で会ったら伝えようと考えると、私の心もお月様に照らされたように感じました。

だれかの心を温かくする事は、日じょうの中にあふれているので、私も毎日だれかの心を照らせるよう心がけたいと思いました。

マックス・U-18大賞 < 高校生の部 >

ひなぴーさん(富山県 / 16歳)

ひなぴーさん(富山県 / 16歳)

今年の九月、おばあちゃんが息をひきとった。

「酒ばっか飲んで体悪くなるよ!」

「何言っとん、この酒のために毎日頑張っとるんじゃ。」といつものように口喧嘩が始まる。私はこのやりとりが好きだった。三年前、おばあちゃんにガンが見つかった。そしておじいちゃんは仕事を辞めた。酒だって止めていた。「これでばあちゃんに怒らんなくなって済むわい。」と言っているおじいちゃんの顔はどこか寂しそうだった。おじいちゃんは三年間どんな天候でもおばあちゃんのいる石川県の病院へ通っていた。おばあちゃんと会えるのが三十分だけだとしても片道一時間ほどかけて会いに行っていた。

そして、おばあちゃんはおじいちゃんに自分がいなくなっても生きていけるように家事が何一つわからないおじいちゃんに優しく何度も教えていた。絵を書いて教えていたこともあった。おじいちゃんはおばあちゃんから教えてもらった料理は、また次の日作って病室に持っていっていた。最初はりんごの皮もむけなかったのに、今ではたくさんの料理を作れるようになっている。りんごの皮だって一回も切らさずにむけるようになっていた。

おばあちゃんが亡くなった。

お母さんも弟も私も涙が止まらなかった。おじいちゃんは冷たくなったおばあちゃんの手をとり、「ありがとう。幸せでした。」と鼻の頭を赤くし、涙を堪えながら言っている姿を見て私は、世界一素敵な夫婦だと思った。

マックス・U-18大賞 < 中学生の部 >

キョンキョンさん(岡山県 / 15歳)

「ぎりぎりガール」。私は母に、こんなあだ名をつけられた。なぜなら、私はいつも行動がぎりぎりで、課題・宿題と名のつくものは提出日前日に猛スピードで済ませるという習慣ができあがっていたからだ。そんな私が、ある日、母からこう言われた。

「あなたはいつもぎりぎりだけど、毎回最後には帳尻を合わせてくる。それがあなたのやり方なら、それでいいと思う。」

いつものようにまたガミガミ言われるだろうと構えていた私は、正直面食らった。そして、気付いた。少しずつ自分は、大人として扱われてきているということに。

いつからか、両親の会話で「大人の話よ。」と遠ざけられることがなくなった。私の選択を尊重してくれるようになった。十五歳になって芽生えた「大人」という自覚。母のあの一言は、その輪郭をはっきりさせるものだった。

きっと、これからも少しずつ、ガミガミ言われることは減っていくのだろう。そう思うと、嬉しいが不安で、少し寂しい。母の一言は、私に「子供」という自覚も気付かせたのだった。

マックス・U-18大賞 < 小学生以下の部 >

ユウカさん(大阪府 / 9歳)

ユウカさん(大阪府 / 9歳)

私の2才~4才の時に、いちごがりに行った。そこで、むちゅうになってつんでいると石につまずいてころんでしまった。その時、つんでいたいちごの1つがおちて、その上にころんだのだ。やわらかい土だったから、まったくいたくはなかったが、ふくにつぶれたいちごがたくさんついてしまった。お母さんにそのことを言うと、にこっという顔をしてトイレにつれていってくれた。お母さんのリュックサックの中に、私のきがえがはいっていた。「私はそのことを思い出してみると、お母さんは私がこうなるのを分かっていたんだな。」と思った。その時から、今をふりかえってみたらたくさん私がこけたり、ぬれたり、ないたり、こぼしたりすると、お母さんのリュックサックにはいつも必要な物が入っていたな、と思った。やっぱりお母さんは、自分の子どもだからこそ、いつどうなるのか、ちゃんと分かるんだな。と私は本当に思う。

マックス賞

承太郎さん(大阪府 / 10代)

私は小学六年生の時、栽培美化委員という委員会に入っていて、二人の友達と学校にある小さな畑の野菜の栽培を任されていた。畑の責任者は理科の先生で私たち三人は手伝いという感じだったが、週に二回、畑の野菜の成長を見るのが楽しみだった。

そしてある日、その畑で涙が出てしまうような出来事が起こった。卒業式の日だった。

私は卒業式を終え、教室でみんなと思う存分喋った後、畑担当の三人で帰ることにした。せっかく三人そろっていたので畑に寄ることにした。すると友達が畑の角の方にきれいな紙袋が置いてあることに気付いた。不思議に思いながらも紙袋を開けてみるとそこには、ガーベラとかすみ草の小さなブーケと手紙が入っていた。手紙を見てみると、それは理科の先生が私達三人に宛てた手紙だった。

「毎週水曜日と金曜日、いつもサボらずに来てくれて本当に助かりました。ありがとう。ガーベラの花言葉は『希望・常に前進』。中学生になっても、希望を持って明るく前進し続けてください。そしてかすみ草の花言葉は『感謝』。これは先生の気持ちですが、みんなも『感謝』を大切にできる人になってください。今までありがとう。」

私は今、前進し続けられているだろうか、感謝を大切にできているだろうか。もう一度自分に問いかけてみよう。

わかなさん(静岡県 / 10代)

わかなさん(静岡県 / 10代)

私は開けない袋を持っている。「開かない」のではない。「開けない」のだ。その袋の正体はお守りだ。私の友達が中学を卒業するときに、私に作ってくれた。緑色のパッチワークで作られた小さなその袋の中身を私は知らない。それが彼女との約束だからだ。

私たちは中学で初めて知り合った。縁あって三年間同じクラスだった彼女と私は、日に日に仲良くなっていった。彼女は私が今まで会ったことがないタイプの人で、明るく活発で、まっすぐで、限りなく温かい人だった。別々の高校に進学する私たちにあっという間にお別れが近づく。そして彼女は例の「お守り」を私にくれた。「本当に辛いときになるまで開けてはだめ」という条件つきで。なんでも、そのお守りが辛いとき、元気を与えてくれるらしい。だから私はまだその中身を知らない。いつかこの袋を開ける日がくるかもしれない。でも、彼女のお守りは私に、温かい笑顔を向けてくれるだろう。

三角定規さん(佐賀県 / 10代)

普段雪が降らない私の街に記録的な大雪が降った。しかも、天気予報で予告されていなかったので、街中の人が雪の対策をしていなかった。私の家の近くにある国道は何十台もの車が雪で動けなくなっており、警察の人達が数人で車を押して動かそうとしていた。

18時までには帰って来ると言った父だが、その日は、20時になっても帰ってこなかった。会社は家から歩いて行ける場所だ。

父の携帯に電話をかけたがつながらなかったので、父の会社まで行ってみることにした。外に出ると、大雪の中警察の人と一緒に車を押している父の姿があった。気温はとても低く、今にも凍りそうなくらいだった。父はその中、何時間も作業していたそうだ。その次の日、父は熱を出した。

私は、自分の体が壊れるまで他人の為に尽くすことの凄さを感じた。将来、父のような男らしい人間に私もなりたい。

H.Hさん(宮崎県 / 10代)

私には妹がいる。いつも笑っているような可愛らしい妹である。そんな妹には、寝る前にあいさつをするというごく普通の習慣がある。しかし、それは普通とは少し違ったあいさつなのである。

まず、私や母、姉にあいさつをする。これは、当たり前のことである。その後、単身赴任でいない父にあいさつをする。電話をかけたりするのではなく、ここにいない父に対して言う。そこまではあまり変わったことではないかもしれないが、妹はさらに亡くなったハムスターや飼っている金魚にもあいさつをする。私にはこれが不思議に思えて、なぜそんな事をするのか尋ねると、

「家族なんだから当たり前でしょ。」
と言われてしまった。

私はこの言葉にはっとさせられ、そして感動した。ハムスターも金魚もみんな家族。そんな子供ながらの純粋な思いやりの心を私は忘れてしまっていた。妹にこんな事を気づかされるとは思っていなかった。小さな妹に教えてもらったこの思いやりの心を、私は忘れずに大切にして生きていきたいと思う。

うめごまさん(栃木県 / 40代)

これまでたくさんの仕事をしてきた。婦人服の販売員、施設の調理師、学校事務、図書館司書、派遣社員……。どの仕事も充実していたが“転職を繰り返し何事も長続きしない”という思いがあり、自分に自信を持てずにいた。

反対に夫の仕事は3代続く大工。大工一筋で20年以上経つ。“一つのことを辛抱強く続ける”夫を尊敬している。そのあと思うのは「それに比べて私は……」ということ。

ある日のこと。夫に「ずっと大工を続けていてすごいよね。」と話すと、「自分は修業にも出ず、親元で甘えてきてしまった。他にできることがないからただ続けてきただけ。」と言う。意外だった。そして私のことを「色々な仕事をしてきたということは、それだけ何でもできるということ。仕事を通して出会えた人も沢山いるでしょ。そっちのほうがすごい。」と。

確かに、社会人になって出会った、生涯付き合っていきたいと思える友人が何人もいる。調理師免許もあるし、事務仕事も少しはできる。もしかして私、けっこうすごいのかも!

夫よ。あなたのことをただ“いいなぁ、すごいなぁ”と羨むばかりでごめん。そりゃ色んな苦労があったよね。そして私のこと、すごいって言ってくれてありがとう。