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Award Result7

マックス「心のホッチキス・ストーリー」

結果発表

募集期間 2016年10月3日(月)~ 2016年12月5日(月)

応募作品の傾向

2016年は国際的なスポーツ大会が行われ、日本は史上最多の金メダルを獲得し世界中で賑わいをみせた一方で、日本各地で発生した地震や災害に見舞われた1年でもありました。

作品の中には、周りの人に助けられた感謝の気持ち、窮地に陥った時にお互いに助け合う大切さなど、改めて“助け合い”の大切さを綴った作品が多く寄せられました。応募数は前回に比べ5,041件増え、過去最多の12,897件でした。

「マックス・心のホッチキス大賞」は、通学の電車内でいつも乗り合わせる、車いすに乗った人と他の乗客とのやり取りが緊張を生む場面があったものの、後日あることがきっかけで小さな助け合いが生まれ、心の触れ合いが始まる様子を描いた作品です。助け合いを実践することで、すがすがしく言葉が交わされる場面が目に浮かぶ素晴らしい作品でした。

「マックス・U-18大賞」では、ある日の何気ない母と娘のお出かけが一生忘れられない思い出になる心の情景を描いた作品が、「マックス賞」では、愛犬の力強い生き方に助けられる飼い主の心情を描いた作品などが入賞しました。それぞれに大切な“想い”があり、その“想い”が毎日を頑張っていくためのエネルギーになることを改めて感じました。

マックス・心のホッチキス大賞

Ancioさん(滋賀県 / 16歳)

Ancioさん(滋賀県 / 16歳)

電車の中には色々な人がいる、人に親切な人も、そうでない人も。

中学三年生の頃、一年間朝の通学の電車で、車いすの人と同じ車両に乗り合わせていた。車いすは通勤通学ラッシュの中で正直な話、大きすぎだ。だから乗り合わせた人の多くはその車いすの人を邪魔だと思っていただろう。僕もその一人だった。しかし、誰も何もそのことを言うことなく、しばらく僕は、ただ窮屈な車両にぼんやりと外を眺めながら乗ることになった。

あれは秋のことだっただろうか、雨が降っていて、いつもよりさらに車両に人が沢山乗っていて窮屈だった。車いすの人が降りる駅ではいつも駅員さんが折り畳み式のスロープをかけにきてくれる。その日も駅員さんが来て、スロープをかけていた。その時、雨で滑ったのか、人が多かったせいか、理由はわからないが車いすのタイヤが一人のサラリーマンの足の指を靴の上から踏んでしまった。すると、そのサラリーマンの人は怒鳴りながら車いすを蹴った。別に大して痛かったわけではないだろう、たぶんその人もずっと車いすの人を迷惑に思っていて、踏まれたのをきっかけに我慢できなくなったのだと思う。僕はサラリーマンの人に「やめてください。」だったか、正確には覚えていないが、それか、それに近い言葉をかけた。別に僕は車いすの人を守りたかったのではなく、トラブルが起こって欲しくなかっただけだった。サラリーマンの人は不機嫌な顔をしたが、その場はそれで収まった。次の日からも車いすの人とそのサラリーマンの人は同じ車両に乗っていた。僕は不思議に思ったが、いつも通り外をぼんやり眺めて乗っていることにした。

それから冬に入って受験が近くなった頃、いつもと同じ車両に乗っていて、車いすの人が降りる駅に着いた時、いつも来てくれる駅員の人がその日は来なかった。車いすの人は困っているようだったが僕はただそれを他人事だと思って外を眺めていた。するとサラリーマンの人が僕の肩をたたいて言った。「手伝ってくれないか。」すると、そのサラリーマンの人は車いすの片方を持った。何がしたいのか気付いた僕は急いで車いすのもう片方を持って、サラリーマンの人と車いすを持ち上げてホームに降ろした。サラリーマンの人は車いすの人に「前はすまなかった。」と謝り、車いすの人も「こちらこそ、ありがとう。」と言った。これははっきりと覚えている。その後車掌さんにアナウンスで急かされて僕とサラリーマンの人は車両に戻った。そして次の日からも今までと同じように電車に乗った。気のせいかもしれないが、電車の中では誰も車いすの人を迷惑に思っていなかったようで、いつもより車両の中は温かかった。

電車の中には色々な人がいる、人に親切な人も、そうでない人も。しかし、その中で人は親切にも不親切にも変わり、親切にも不親切にも人を変えることが出来るのかもしれない。

マックス・U-18大賞 < 高校生の部 >

さくらさん(和歌山県 / 18歳)

私は兄と6年間口をきいていない。

口をきかなくなった原因はささいなことで、今ではそのきっかけも思い出せない。

そんな兄と6年ぶりに会話した。大学のオープンキャンパスに行くために東京に住んでいる兄の家を訪ねた時のことだ。兄と私と弟。両親抜きの三兄妹だけで過ごすのは、幼い頃、祖母の家へ遊びに行って以来であった。久しぶりに過ごすその空間は少し息苦しくしばらくは沈黙が続いた。そんな沈黙をやぶったのは兄のほうだった。「さくらはどの学部を受けるん?」兄に名を呼ばれたのは久しぶりだった。「……看護」「看護か。やったらはよ行かなあかんな。」

私は正直とても驚いた。あれだけかたくなに私を避けていた兄が自ら私に話しかけてきたからだ。私は兄のことを嫌いではない。むしろ大切な兄妹だと思っている。だからこそ話せなくなってしまったことをさみしく思っていた。

大学へ向かう道を少し前にいる兄の背中を追いながら歩く。決して広くはないその兄の背中を見つめながら考える。いつかまた小さい頃のように話せる日はやってくるのだろうか。兄は振り向かずにどんどん私を置いていく。それがどことなく心の距離を表しているようで、まだ少し時間がかかりそうだな、そんなことを思った。いつか並んで歩けるくらいにはなりたいな。兄に置いていかれぬように必死に後を追った。

マックス・U-18大賞 < 中学生の部 >

ななさん(大阪府 / 15歳)

静かな電車の中で、私たち二人だけがけたけたと肩を震わせていた。私は友だちのNとある一枚の写真をみていた。その写真はクラスメイトの変顔を写したもので、笑わせるのが得意な彼の写真は見事に私たちのツボに入ってしまった。周りの方々はみんな静かにしているため大声で笑うことはできない。が、その状況だからこそ余計に、腹からこみ上げる笑いが止められなかった。その時、駅で、一人の仕事帰りであろう六十代くらいの男性が乗車してきた。その時もずっと笑っていた私は、男性の視線を感じ、注意されるものだと思っていた。しかし男性はすぐに顔を緩め、

「あんたら何がそんなに楽しいんや」
と言って笑った。中学生か、高校生か、と聞かれたので中学生ですと答えると、男性は遠い昔をなつかしむような目をしてにこっと笑ってくれた。そして、

「その時期はなんでも可笑しいときやなあ。大事にしなさいよ。」
と言って降りていった。

あの時のことを、私は今でもはっきり覚えている。そして、ずっと心にとどめている。大事にしなさい、と笑った男性のように、私もなれるだろうか。おそらく、今を大事にした人だけがあのような人になれるのだと思う。今という時間を大切にしようと、心からそう思った。

マックス・U-18大賞 < 小学生以下の部 >

みーさんさん(大阪府 / 10歳)

みーさんさん(大阪府 / 10歳)

「明日、二人でお出かけしようか。」

お母さんのとつ然のてい案に大喜びしながら、実は少しおどろきました。三人姉妹のまん中の私は、遊びに行くのは、だいたい姉妹のだれかといっしょだからです。お母さんと私だけで遊びに行くのは、めずらしいことでした。

中学生の姉とようち園生の妹はおばあちゃんがお世話係。その日私はお母さんをひとりじめしました。お買い物をして、映画を見て本屋さんにもよりました。楽しい時間がどんどんすぎました。そして、おやつを食べている時にお母さんが言いました。

「妹になったり、お姉さんになったり、いつも三人のつなぎ役ありがとう。」

なかなか主役になれない、まん中の気持ちをお母さんはちゃんと分かってくれていました。姉や妹をうらやましく思う気持ちが、すっと消えてなくなりました。そういうお母さんも家族みんなのつなぎ役をとっても楽しそうにがんばっています。考えてみれば、姉も妹も経験できるのは、まん中の私だけ。お母さんを見習って、楽しくつなぎ役をがんばろうと思いました。

マックス賞

あみこさん
(山形県 / 10代)

私が家に帰ってから冷蔵庫を開けてみるとヨーグルトが二つあったり、ケチャップが二本あったりというのはよくある。私はずっと疑問に思っていたのだが、最近その理由がわかった。それは父と母が別々に買い物をするとまったく同じものを買ってくるからだ。どこまで二人の考えていることは同じなのでしょうか。前の晩に冷蔵庫を開けて、ケチャップが切れていることにそれぞれが気づいて次の日に同じものを買ってきてしまうならまだわかる。だが、その日に食べたいと思って買ってきたお菓子まで同じだった時はさすがに唖然とする。父と母はそれを嫌がってみせるが顔はいつも笑っている。

先日、キッチンに行くとテーブルの上にマヨネーズが二本あった。しかしよく見ると今回は少し違う。片方はいつもと同じだが、もう片方はカロリーハーフ。きっと母は父の体に気遣ってカロリーハーフの方を買ってきたのだろう。思わず吹き出してしまった。

スフレさん(岩手県 / 50代)

スフレさん(岩手県 / 50代)

後脚に障害があるから売れない。犬舎の片隅に追いやられていた仔犬。

目が輝いていた。

私も身体障害があって、自分と重ね合わせてしまった。何とかしなくちゃ、と。

11年前に引き取り、るると名付けた。

助けられたのは、私の方だった。るるは不自由をものともしない。

今はオムツ生活になったが、前脚で懸命に進む。

「ほら、ママもやってみて」

強張る足をさする私に、上目遣いで促す。

「少しでも動かさないと寝たきりになるわよ」

先輩として指南しているみたい。

同情するならナントヤラではないが、あの目―。みせた輝きは、

「同情じゃなく、生きる道をちょうだい」と、いっていたように、今は感じる。

いつか。この日常にも終わりがくる。

お互いに命は永遠ではない。

白くなったるるの目には、悟った光が浮かぶ。

別れの不安を憂いて過ごせば、後悔の涙が待つだけ。

上目遣いに、私はまた教えられた。

愛おしむ時を大事に、今を心につなぎとめよう。

カリメロさん(三重県 / 50代)

僕が小学生の時の遠い昔の思い出です。

大正14年生まれの漁師の父に生まれて初めてプレゼントをしました。それは百円ライターでした。あの頃の僕にとって百円はすごく高額で、シラスウナギを獲ったお金でした。誰にも取られぬようにポケットの中で手が汗ばむぐらい握り締めた百円でひとつ購入しました。

父はこのライターは不思議だ、ガスがなくならないとずーっと使ってくれていました。後で知ったことですが、ガスがなくならないのではなく、父が何十本と同じものを購入し、使用していました。

人の気持ちを思いやることを教えてくれてありがとう。40年ほどの月日が流れましたが、今でも思い出します。

どんちゃんさん(群馬県 / 10代)

祖父は、忘れっぽい。

「メガネ、どこやったかな。」今、自分でかけている。

「あのノートがみつからない。」昨日、自分で捨てた。

「万年筆は誰が持ってるんだ。」ずっと、自分の机にしまっている。

そんな祖父にも忘れないことがある。

「孫が生まれた日を忘れたことは無いよ。本当に、あっという間に大きくなるなぁ。誕生日おめでとう。」

毎年、欠かさず私を祝ってくれる。

そして、すぐに声を上げるのだ。

「プレゼントを忘れた。」

祖父は、忘れっぽい。

菊太郎さん(岡山県 / 30代)

3年前

私は子どもが生まれる直前に単身赴任となった。

遠距離のため娘の出産に立ち会うこともできず

その後も忙しさを理由に数ヶ月に1回だけ帰省する生活であった。

そんな日々が2年過ぎた頃

妻から電話で「最近娘がいっぱいしゃべるようになったよ!」と嬉しそうに報告があった。

「会ったら何を話そうか」とわくわくどきどきしながら帰省した私を出迎えたのは

「父ちゃん、いらっしゃい!!」という娘の言葉。

正直、かなり傷ついた。

でも、悪いのは言い訳ばかりで家族との交流が減っていた自分。

翌日、すぐにタブレットを購入。

週末はネットを利用し娘の顔を見て話をするようにした。

最初は照れくさかったが

顔を見て話をすると今まで以上に家族の絆を感じるようになった。

それを半年ほど繰り返し

久しぶりに帰省した私を出迎えたのは

「父ちゃん、お帰り!」と言いながら抱きついてきた娘。

今は娘に「おかえり!」と迎えてもらえる日を楽しみに私は毎日頑張っています。