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Award Result6

マックス「心のホッチキス・ストーリー」

結果発表

募集期間 2015年10月1日(木)~ 2015年12月8日(火)

応募作品の傾向

「心のホッチキス・ストーリー」は回を重ねるごとに応募数を更新し、第6回目となる今回は、前回に比べて2,080件増え、7,856件もの応募を頂きました。最年少は4歳、最年長が88歳と幅広い年齢層から、家族や友達だけではなく、近隣の人々や毎日の通学・通勤で顔を合わせる人など、さまざまな人とのつながりを描いた作品が多く寄せられました。

「マックス・心のホッチキス大賞」は、慣れない土地に移り、最初は水が合わないと感じていましたが、あることをきっかけに近所の人たちの優しさに触れ、その土地の温かさに気づく心情を描いた作品です。光景が目に浮かび、読んでいて思わず笑顔がこぼれるエピソードでした。

「マックス・U-18大賞」では通学バスの運転手さんとの交流を、マックス賞ではお互いに思いやる家族を描いた作品が入賞しました。身近な人の親切に気づき、自身も優しい気持ちを持とうと思う作品に「思いやり」の大切さを改めて感じました。

マックス・心のホッチキス大賞

にゃもにんさん(大阪府 / 34歳)

にゃもにんさん(大阪府 / 34歳)

大阪は、水が合わない。

夫の転勤で移住し、すぐにそう思った。関西弁が標準語なのだ。

エスカレーターは右寄り。大げさなクラクション。「ノリ、ツッコミ」社会。

これはムリ。付き合いは、必要最低限と決めた。そのうち、息子が生まれた。

一歳半で早朝の公園デビュー。

息子は「わんわん」と友達になり、私も年配のママ達と顔見知りになった。

ある日、事件が起きた。

朝、夫をマンションの外まで見送った私達は、そのまま締め出された。

夫が誤って施錠したのだ。こんな時に限って、携帯も財布もない。

息子に至ってはパジャマ。

その時、「わんわん、行く」と息子が言った。

その手があったか!と、公園に向かう。

「あ、レン君や」いつもの笑顔があった。

事情を話して携帯を借りるが、夫に繋がらない。

その間、飲み物を買ってくれた人がいた。小銭入れを手渡してくれる人もいた。

マンションに戻った私達の元へ、食べ物を運んでくれた人、夫の職場まで車を出してくれた人。

胸がいっぱいになった。翌早朝、夫とお礼に向かう。

「私も転勤族だったし、分かるから」「いつかあんたも、誰かを助ければええ」

「大阪も悪くないやろ?」笑い声は高らかだった。

「こっちじゃ、そこまでしないなぁ」と、実家の父は驚いた。

息子は今、お隣のおじちゃんが釣ってきた太刀魚のお刺身を食べている。

未だに関西弁は耳慣れない。でも、大阪の水も悪くない。

マックス・U-18大賞 < 高校生の部 >

電車さん(静岡県 / 17歳)

「いってらっしゃい」

私が毎日利用しているバスの運転手さんが降りるときにかならずいってくれる言葉だ。本当に、本当になにげない言葉なのだけれど、いつも元気がもらえた。しかし、毎日この言葉をきいていると、いつしかそのままその言葉を聞き流してしまうことが増えた。当たり前のことだと慣れてしまっていたのだ。

ある日、バスが二十分も遅れて到着したことがあった。そのとき私はバスの遅れたいらだちから、怒ったようにしてバスをとびだしてしまった。この日は何事も全くうまくいかなかった。

次の日バスを降りるときに、「昨日はごめんな。」と運転手さんが言ってくれた。

そのとき、私は思い出した。私がどんなときでも優しく「いってらっしゃい」と声をかけてくれていたことを。それを一回遅れたくらいで感謝の気持ちを忘れてしまっていた自分がとても恥ずかしく思えた。

だから私は「いつもありがとうございます。」と笑って答えた。

私は今もそのバスを利用しているが運転手さんの「いってらっしゃい」は今もぼくの心の支えになっている。

マックス・U-18大賞 < 中学生の部 >

めがねじいさん(東京都 / 15歳)

めがねじいさん(東京都 / 15歳)

「ただいま。」

僕は毎日必ず大きな声で明るく言う。どんなに嫌なこと、悲しいことがあっても僕はそう決めている。

僕の家には認知症の祖母がいる。日に日にその症状は悪化し、もう僕の知っている祖母ではなくなりつつある。そんな祖母を介護している母は見ていてとても大変そうである。

ある日、いつも疲れている母に、

「一番の楽しみは何?」
と聞いてみた。すると意外な答えが返ってきた。

「子供たちの元気な『ただいま』の声を聞くことだよ。」

初め、そんなことかと思った。よくよく聞いてみると、無事に家に帰ってきた子供たちの明るく大きな「ただいま」を聞くことが何よりの幸せで、楽しみなんだそうだ。

それは高価なものをあげるより大切なこと。

小さな母へのプレゼント。僕はこれからも元気に「ただいま」を言い続けようと思う。

マックス・U-18大賞 < 小学生以下の部 >

さくらさん(三重県 / 9歳)

夏のはじめのある朝、一本の電話がかかった。内ようを私は信じることができなかった。

ママが、つぶやいた。

「おじいちゃんが、がんの容体が悪くなって病院に入院したそうよ。それで、大分県に来てって、おばあちゃんが言ってたのよ。」

大変な事になってしまったから朝早くの電車ですぐさま大分県に行くことになった。病院に着いた。病室に入って小さな声でしゃべっているのに、おじいちゃんが、「小さな声でしゃべって。」と、言う。よほどきついんだろうと思った。

しかし、その夜びっくりするほど元気になってうれしいおじいちゃんは、「こんなに元気だったらたいいん出来ると思う。」と元気そうにいっていたので安心した。

けれど、そんな幸せな時もすぐ終わって次の日の朝に死んでしまった。病院に着いた時は死んでしまっていた。みんなが泣いている中で私だけ泣かなかった。こんな事がはじめてだったからどうすればいいか分からなかったからだ。でも、いつか目からなみだがあふれでて来た。

その日の夜、きれいな星空が出た。私は強く思った。

「おじいちゃんにもみせたかったなぁ。多分、今日の星がきれいなのはおじいちゃんが天国で、泣かないでって言っているんだ。」だけど、また泣いてしまった。

私は言いたかった。おじいちゃんに向かって「ごめんね。」と。

ごめんねって言いたいわけは、おじいちゃんが死ぬ前の日に「バイバイ。」と言ってわかれたから、次の日おじいちゃんに会えないままおじいちゃんは死んじゃっていたからだ。

だけど、ママはその時に言った。

「おじいちゃんとはまだバイバイじゃないよ。天国から見守っていてくれるよ。」
となぐさめてくれた。だからこうして今、わらいながら生活出来ているんだな、と心で思った。

マックス賞

卵焼きはマヨネーズ派ですさん
(福井県 / 10代)

サッカーの試合の帰り道、父と僕はいつものように車に乗りながら帰っていた。

父は毎日のように、「今日はどうやったか。」と聞いてくる。

僕は疲れていて話をするのもうんざりで話を聞き流していた。

すると、父はいつも悲しそうな顔をしていた。ある日、父と母が話をしているのをふと耳にした。

父は、「来週が俺の行ける最後の試合や。あいつの活躍してる所を見たいな。」

父は病気で入院しなければいけないらしい。きっといつも僕のサッカーを見ている時間が父にとっての楽しみでもあったんじゃないか。それなのに僕は愛想無い感じで奪ってしまっていたと知り、とてもやるせない感じになった。

試合当日、僕は父に「今日は3点決めるから見といて。」と言った。父は今までにないくらいの満面の笑み。

言葉通りその試合僕はハットトリックした。

その帰り道、父は僕に何も言ってこなかった。

父の顔を見ると、あふれんばかりの涙。「何泣いてんだよ。」

父は顔面くしゃくしゃになりながら、いつものように話してきた。その帰りの車の中の会話は、ずっとやむことはなかった。

ネギさんさん(神奈川県 / 10代)

ネギさんさん(神奈川県 / 10代)

高校の入学式当日の話だ。

以前から体調を崩していた祖父が入院することになり、高校に向かう前に祖父を病院へ送ることになっていた。母の運転する車に乗り、初日から遅れることを避けたかった私は、時間にあせり一人でイライラしていた。

口を閉ざした私に、祖父が声をかけてきた。一つの大きな封筒を渡された。中を見ると、一冊のノートが入っていた。見てごらんと言われ、私はノートを手に取った。「ノートあげる」と祖父が言った。意地を張っていた私は「うん」としか言えなかった。頭の中では時間のことばかりを考えていたからだ。

家に帰ってからもう一度ノートをあけるとそこには、私が小さい時から高校生になるまでに渡してきた手紙や折り紙が、日付けとともにびっしり貼られていた。ページをめくるたびに涙が溢れてきた。すごく嬉しくて、涙が止まらなかった。

しばらくすると、祖父の状態が悪化し、会話すらできなくなった。お礼が言いたいけど、言葉にすると涙が出てきてしまって話にならない。祖父との別れがきた。

後から聞いた話だが、祖父は手紙をもらうたびに嬉しそうに部屋にこもって、時間をかけて貼っていたそうだ。私は何であの時、素直に「ありがとう」が言えなかったのか悔やんだ。今思うと祖父がノートを手放したのは別れを感じたけじめだったのかもしれない。世界に一つだけの私の宝物となった。

viviさん(東京都 / 30代)

今年の8月に一時、帰国した。1年ぶりに会う母親と兄が上海空港へ迎えに来てくれた。

その時、父親の姿が見えなかったので、心の中で少し不満だった。その時母が「最近、父の体の調子が悪く、歩くのも大変みたいなの、車の中であなたを待っているから、ごめんね」と私に言った。

母の話を聞いたとたん、怒った自分を後悔した。

車の中では父は「お帰り」と私を見ながらにこにこ話しかけてきた。

私は日本でのことをすこし話した。そのひとつに日本の果物がとても高いことだった、特にスイカは高くてあまり食べることができないと言うと父はかわいそうと言わんばかりに大きく頷いた。

その日は土砂降りの雨だった。

晩御飯が終った後、父の姿が消えていた。1時間ほどして父が手に何かを抱えて帰って来た。

雨の中、歩くのも大変な父が私のために全身濡れてその手には小さなスイカがあった。その情景を見た瞬間、涙が溢れて止まらなかった。スイカを買ってくれたことを「有難う」という言葉にならなかった。

涙と混って口にしたスイカは今まで食べた中で一番美味しかった。

ラッキーママさん(大阪府 / 40代)

「ママには勝たれへん」と時々夫がぼやく。確かに娘はママっ子だ。

小学四年生になった今も、遊び、お風呂、何でも「ママ!」だ。

そんなある日の未明、マンション中に火災報知器が鳴り響いた。どうやら誤報らしいが、うちは高層階、念のため避難することに。私と娘の準備はできたが、夫はまだパジャマのままだ。

鳴り続ける警報音が不安な気持ちにさせる。早く娘を安全な所へ。私は言った。

「先に二人で非常階段おりてるね」

すると、いつもは私に従順な娘が叫んだ。

「だめ!三人一緒じゃないと絶対だめ!!」

私は娘の姿に驚き、急に恥ずかしくなった。娘よ、ごめん。パパもごめん。

玄関に現れた夫が娘と私の肩に手をおいて言った。

「そうや。三人一緒やな」

家族の幸せを守っているのはパパ、ママだけじゃない。九才のあなたも同じように頑張ってくれているんだね。

ありがとう。この日の娘の勇姿を、私は忘れない。

さららさん(兵庫県 / 30代)

わたしの誕生日。

家に帰ると8歳の娘が「ママ、おめでとう」とかわいいイラスト付きのメッセージカードをくれた。

5歳の息子は「ママ、おめでとう」とつたない字で一生懸命書いた手紙をくれた。

その後、晩ご飯の用意をはじめたわたしは5歳の息子がいなくなったことに気付いたけど子供部屋で遊んでいるんだと思い気にもとめなかった。

しばらくしてキッチンに現れた息子が「ママ、あげる」と10円ガムをくれた。

「ありがとう。これ、どうしたの?」

聞くと「今、買ってきた」と言う。

どうやら、暗くなった夜道を1人でお店まで走っていき、自分のお財布からなけなしの10円を出してわたしにガムを買ってきてくれたようだ。

息子の発想力と行動力に驚きながら、うれしくて涙が出そうになった。

毎日「もう食べた?」って聞いてくれるけど、もったいなくて食べられないよ。