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Award Result8

マックス「心のホッチキス・ストーリー」

結果発表

募集期間 2017年10月2日(月)~ 2017年11月30日(木)

応募作品の傾向

2017年は、効率的な働き方を考えるきっかけとなった“働き方改革”やパンダの赤ちゃん誕生に多くの人がにぎわい、連日の報道を微笑ましく見守り、また、若年層によるSNSでのコミュニケーションがさらに活性化し“インスタ映え”という言葉が注目されるなど、様々なニュースが報じられた1年でした。

応募作品は「家族」との交流を綴った作品が多く寄せられ、身近な存在だからこそできる気遣いや想いの深さを感じることができました。

「マックス・心のホッチキス大賞」は、幼い時に「ネズミさん」(父親)と手紙のやり取りをしていた頃の想い出を綴った作品です。「ネズミさん」の正体を知らず、自分の気持ちを打ち明けたことを思い出し、今だから言える「ネズミさん」への感謝を素直に表現しています。近年、10代の主なコミュニケーション手段としてSNSがあげられるなか、あえて昔を思い出し、手紙で父親とやり取りをする情景は、ほっこりする心温まる作品でした。

「マックス・U-18大賞」では、いつも明るく笑顔でいてくれる母の苦労に気づき、母への感謝を自覚する作品が、「マックス賞」では、仕事や子育てで余裕のなくなっていた妻が、息子の言葉で夫への感謝を再確認し、息子の成長を実感した作品が入賞しました。

マックス・心のホッチキス大賞

米粒さん(群馬県 / 16歳)

米粒さん(群馬県 / 16歳)

私は小さい時、ネズミと話ができると思っていた。夜、寝る前に「ネズミさんへ」と手紙を書き、それをタンスのすき間に入れる。すると翌日返事がくる。それが楽しみで私の幼い時の日課だった。

小学校中学年になり、周囲の子はみんなゲームで遊ぶようになっていた。しかし、私だけは持っておらずみんながゲームをしている時は1人静かに待っていた。ある日、我慢できなくなり「ネズミさん」への手紙にこう書いた。

「私もゲーム機が欲しいです。カセットもいっぱい欲しいです。1人だけ持ってないのは悲しいです。」

こんな手紙を書いた数日後の土曜日のことだった。目を覚ますとゲーム機と6個ほどのカセット、そして手紙が一通枕元に置いてあった。

「遅くなっちゃってゴメンね。ゲーム機大切に使ってね。ネズミさんより。」

私は本当に本当に嬉しくて、飛びまわって喜んでいたことを今でも鮮明に覚えている。

今はもちろん「ネズミさん」の正体は分かっている。だからこそまた手紙を書いてタンスのすき間にはさんでみようかなと思う。

「ネズミさん、いつもお仕事ご苦労様。たまにはゆっくり休んでね。ありがとう。」

ついでに新しいネクタイのプレゼントも置いておこう。

マックス・U-18大賞 < 高校生の部 >

ダイオウグソクムシさん(和歌山県 / 18歳)

久しぶりに、母が営むみかん畑に手伝いに行った。その日は、イノシシ対策として畑をぐるりと囲む柵を設置する予定だった。

私の母は、とてもパワフルで朝は5時に起き、私と父の弁当を作ってくれ、毎日笑顔で学校に送り出してくれる。私は、それを当たり前の事と思い18年間を過ごしてきた。

その日も、母と一緒に何気ない会話を交わしながらひたすらに柵どうしをハリガネで結ぶ作業をしていた。すると母が「めっちゃ結ぶの上手になってきたで、お前の大学費かせぐ為にバイトしよかな」と笑顔まじりにしゃべりかけてきた。そんな母の手は、ひどく細くキズだらけだった。私は、自分の事を恥ずかしく思った。情けないと思った。その日私は、母を必ず幸せにすると強く心に決めた。

マックス・U-18大賞 < 中学生の部 >

キキ&ミミさん(兵庫県 / 13歳)

「あんたはやっぱり、一番しっかりしとるしたよりになるわ~。」

いきなり、お母さんにこんな事をいわれて、びっくりしました。私は、3人兄弟のまん中で、お兄ちゃんと弟が遊びに行ってる時、そう言われました。いつもは、お母さんと2人きりになると、ケンカばっかりして話すこともあまりないのに、いきなり言われてびっくりしました。そのあと、私とお母さんは、ゲームをしてずーっと無言だったけど、またいきなり、

「いっつも、2人のめんどうを見てくれてありがとう。ミニママさん。」
と言われて、またびっくりしました。ミニママなんて言われて、笑ってしまったけど、とてもうれしかったです。でも、そのあとお兄ちゃんたちがかえってくると、ミニママと言ってきて、どうして知ってるのかと思うと、お母さんたちが、私につけたあだ名が、ミニママだったらしいので、笑ってしまいました。

マックス・U-18大賞 < 小学生以下の部 >

まつたに たかゆきさん(京都府 / 9歳)

まつたに たかゆきさん(京都府 / 9歳)

ぼくの弟は、年が7才はなれている。

弟は、なんでもぼくのまねをする。悪いことも、良いことも。

でも、二人でいると、楽しくなる。

ぼくが、かぜをひくと、弟もかぜをひく。

ぼくと弟はいつもいっしょだ。でも、たまにいやな気もちになることがある。それは、べん強や本を読むときにじゃまをすることだ。

でも、やっぱり弟がすき。

学校からかえると、げんかんまでおむかえに来て、「おかえり」と大声で言ってくれる。ぼくは、つかれていても、とってもうれしい気分になれる。

大人になっても、いっつもいっしょにいたいし、こんどは、ぼくがまねをしようと思う。弟がどんな気もちになるかを今からそうぞうするととてもたのしみだ。

マックス賞

コスモスさん
(石川県 / 60代)

コスモスさん(石川県 / 60代)

結婚して42年。主人は寡黙な人柄で冗談も言わず、若いときは少々物足りなく思っていました。でも会社での人望は厚く、それなりの要職について無事退職しました。その頃から頭の体操と言って毎日ではありませんが日記をつけ始めました。「見てもいいぞ……」というのですが人の日記は読む気がしません。

書き始めてから3、4年も経ったころよほど慌てていたのか日記を書いている途中に畑に行ってしまいました。掃除をしながらちょっと気にして日記に目を向けました。几帳面な字で書かれていました。

「やっぱり作業日誌だ……」と思い2、3ページ前の文章迄めくりました。

そこには「今日は誕生日だった。この年になるとすっかり忘れていた。でも妻は覚えていてくれて大好きな刺身を買ってきてくれた。いつもの刺身とはちょっと美味しい気がした。ありがとう。」と書いてありました。寡黙な主人がこんなことを思っているなんてびっくりしました。思わず1人でニヤニヤしてしまいました。

畑から帰ってきた主人は私が読んだことも知らずまた日記の続きを書き始めました。刺身を買ってきたことぐらいでこんなに喜ばれるなんて、なんて安いことよと思いながら私も掃除の続きをしました。この人と結婚してよかった……とつくづく思った瞬間でした。

秋光さん(愛媛県 / 50代)

自営で看板の仕事をしています。

ある日長女が通う進学校の向かいにある病院の看板取替え作業に向かいました。

学問の無い無様な私に気付かれたくなくて、静かに作業していると背後で声が聞こえます。

「え~!〇美ちゃんのおとーさん?」

振り向けば校舎のバルコニーから数人の女子がこちらを見てました。

名士の娘さんが多い立派な学校に、ブルーカラーの私は気後れして気付かないふりして作業しました。

帰宅後、夕飯時に「なんか声が聞こえた。」と長女に伝えると「そうよ。私が見つけて皆に言ったもん。男の背中やったよ。」と屈託無く言われて泣きそうになりました。

天羽 このかさん(京都府 / 10代)

天羽 このかさん(京都府 / 10代)

その日は雨だった。朝はふっていなかったのに、お昼ごろから急にふりだした。私は傘をもってきていなかった。いつもバッグにいれている折りたたみ傘も、その日にかぎって家に忘れてしまった。

帰る時間になっても、雨はやむどころか強くなっていた。そこで一緒に帰ろうと思っていた友達に、

「傘、忘れたから一緒に入れて。」
と言うと、友達が

「いいよ、一緒に入ろう。」
といやな顔ひとつせずに言った。私も雨の日に何度か友達を傘に入れてあげたことがあったけど、何も疑問に思わなかったし、それがあたり前だと思っていた。でも今回傘に入れてもらって、入れてあげる方はあたり前にしているけど、入れてもらう方はこんなにうれしかったんだなぁということが分かった。

そういうことがあたり前に出来る友達がいて、私はとても幸せだ。

さとちゃんさん(東京都 / 20代)

去年の冬、会社に退職願を提出した。

夜遅くまでの残業、出張で帰れない日々……。そんな生活に限界を感じ、華やかな生活を夢見て田舎から東京へ身ひとつでやってきた。

病気がちで寂しがりの母には、心配をかけたくなくて「長めの休暇で旅行に行ってくる」と嘘をついた。仕事をすぐに決めてから、一度戻ってきちんと話そうと。

しかし、すぐに決まるだろうと思っていた転職活動は予想以上に大変で、カプセルホテルや漫画喫茶での生活を続けても、どんどん貯金が減って毎日が不安だった。「自分は東京で何をしたかったんだろう」「こんな思いをするのなら、辛くてもやめなきゃよかった」「自分はどこの会社にも、誰からも必要とされていない」そんな思いで頭の中がいっぱいで、何もかも投げ出したくなった。

そんなとき、母から一通のメールが届いた。『隠さなくても知ってるよ。一人で頑張らなくて大丈夫だから、一度帰っておいで。やりたいことを見つけてから、好きなところに行きなさい。ゆっくりでいいんだよ。』と。

思い返せば、昔から何をしていても母にはすべてお見通しだった。誰よりも自分のことを知っているのは、いつも母だった。

地元に戻って、母にすべてを話した。びっくりするくらい心が軽くなった。そして、そこからの再スタートは、これまでのことが嘘のように順調で、憧れていた職業に就くことができた。

あれから半年。離れていても、相変わらず母は私が辛いとき、電話の声やメールの内容ですぐに気づいてくれる。

今は、そんな母に恩返しがしたくて、新しい環境で毎日必死に働いている。大変だけれど、不思議と辛くはない。

しぶぐち ゆきさん(宮城県 / 30代)

思わずため息が出た。顔を洗おうと洗面所へ向かい、朝から落胆する。

床に散乱しているのは、湿ったタオルと脱皮でもしたような人型の服。洗濯かごに入れない、夫の癖である。

「もう、タオルは使いっぱなし、服は脱ぎっぱなし!かごに入れてくれればいいのに!」

つい口から文句がこぼれた、そのとき。

一緒に起きた5歳の息子が、私に声をかけた。

「おかあさん、そんなふうに言ったらおとうさんがかわいそうだよ。

おとうさんは一番に起きるでしょ。一番は寒いんだよ。それなのに『ねむいよう』とか『さむいよう』とかグズグズしないで、ストーブつけてお部屋をあたためてくれるでしょ。えらいよね。

朝ごはんも作ってくれるでしょ。炊きたてごはんと、お野菜たくさんのおみそ汁、毎日おいしいよね。

その上、朝早くから会社に行って、家族のためにお仕事がんばるんだよ。すごいよね。

だからタオルと服くらいで怒らないであげようよ。」

使いっぱなしのタオルと脱ぎっぱなしの服を拾い上げながら、私はおかしくて笑ってしまった。なんて些細なことで愚痴をこぼしてしまったのだろう。

共働きの我が家では、各々の得意なことを主に、家事も育児もシェアしている。

保育園のお迎えから、夕食作り、片付け、お風呂、寝かしつけ、と怒涛のバタバタ劇を繰り広げる夜は、疲れ果てて子どもと一緒に寝てしまう私。乳児もいるため、夜中の授乳とおむつ替えの疲れで、結局朝もぐったり。1分でも長く布団に横になっていたい私に代わり、早起きをして家族の朝食を作ってくれるのが夫である。

もともと朝が苦手な私とは反対に、早起きが苦ではない夫。片付けや洗濯が苦手な夫に対し、整理整頓や洗濯のしかたにこだわりがあり自分でやりたい派の私。

うまい具合に互いを補完できる間柄なのである。

タオルの使いっぱなしと服の脱ぎっぱなしくらい、許容しようではないか。夫はそれが極度に苦手なのだから。代わりに得意なことを存分にしてくれているのだから、十分ありがたい。

息子には常日頃から、感謝の気持ちを忘れないでいよう、人の悪いところより良いところを見るようにしよう、と話している。私の教えを息子はしっかり理解し実践していたのだ。

「ごめんなさいは?」と私に促す息子。

素直に「おとうさん、ごめんなさい」と口にすると「分かってくれればいいんだよ。でも、おかあさんも赤ちゃんのお世話して、おうちのこともして、お仕事もして、ぼくとも遊んでくれて、えらいよ。ありがとう。いい子だね。」と頭をなでてくれた。