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Award Result3

マックス「心のホッチキス・ストーリー」

結果発表

募集期間 2012年10月1日(月)~ 2012年12月9日(日)

応募作品の傾向

2012年は、国際的なスポーツ大会で団体競技や水泳でのリレー競技の活躍が目立った一方で、中学校で起きたいじめの問題が連日大きく報道された年でもあり、改めて「絆」や「思いやり」についてどのような作品が集まるのか大変興味を持っておりました。

その中で、過去最多となる4,712件もの応募があり、テーマについても、「家族やペットとの心のつながり」、「ハンディキャップや自身のコンプレックスを克服した瞬間」など多岐に渡っていました。

「マックス・心のホッチキス大賞」の作品は、入社2年目となり、社会人としてのコミュニケーションの難しさや増えていく仕事への不安を感じる中、携帯電話を通じて仲間と励まし合っている様子が上手く表現されており、現代の若者らしい新しい「絆」が見受けられました。

また、「マックス・U-18大賞」の作品は、自身のコンプレックスについて勇気を出して友人に切り出した所、思いがけずあたたかみのある一言が返ってきて前向きな気持ちになれた話です。

マックス・心のホッチキス大賞

仲村 優佐さん(栃木県 / 20代)

仲村 優佐さん(栃木県 / 20代)

携帯で呟いた「明日も頑張る」と。家を出てから一年が経ち、会社では新人という肩書が消えた。職場は地方の営業所。一番年の近い先輩は38歳。所内での話題に追いつくことで精一杯。ジェネレーションギャップ?ゆとり教育の弊害?コミュニケーションが辛い。だけども、もう一年生ではない。会話も、仕事も、求められることは増えるばかりで、期待に応えることができない不安も増すばかりで。朝起きて仕事に行く、夜帰って食事をして、寝る。そんな毎日。頑張るしかないと自分に言い聞かせる。枕元の携帯が振動する。大学の友達からのメール「メールアドレス変えました」。そういえば卒業以来会っていない。他の友達は何をしているのだろう?一年ぶりのアプリを起動する。みんなの近況は悪戦苦闘。文句も弱音も並んでいた。だけども、みんなで慰めて、励まして。そこに加わってみる。元気が湧いた。寝る前に、最後に一言「明日も頑張る」。

マックス・U-18大賞

F.Aさん(奈良県 / 17歳)

F.Aさん(奈良県 / 17歳)

「あなたは両目で物を見る力がありません。」そうお医者さんに言われた夜、誰にもばれないようにふとんに頭をうずめて泣いた。

私は生まれつき先天性白内障という病気をもっていて手術は成功したけど左目が外斜視。両目で物を見る力がないため外斜視の手術は無意味だと言われた。

もう17年もこの目とつきあっているのでもう気にしないようにするのには慣れている。でもじっと人に目をみつめられたときに目をそらしてしまう。

なんでこんな目で生まれてきたんだろう。

高校2年になってできた友人がいる。ある日一緒に帰ったとき、私の目についてどう思うか、話しの流れにあわせて不自然に思われないようにきいてみた。

「たれ目がかわいい。うちもそんな目がええわ~!」

なんだ、私ってたれ目なんだ。外斜視、外斜視、私は悪いところばかりみてたんだな。17年間私をしばりつけていた何かがぱっとほどけた気がして涙がこぼれた。

マックス賞

あきちゃんさん(神奈川県 / 30代)

「おやつだよー。」6歳の息子と4歳の娘に買って来たみたらし団子。中身は3本。けんかになると思い、「1本はお母さんに残しておいてね。」と伝えた。しばらくしてトイレに行くという娘に付き添い席を離れ、部屋に戻る。するとそこには、2人の食べ終わった2本の串と、3本目の食べ終わったと見られる串。すると隣の部屋から出てきた息子が、「あれ?おかしいね、お団子が全部なくなっちゃってる!」「大ちゃんが食べたんじゃないの?」「僕じゃないよ。」私は、息子が嘘をついた所をこの時初めて目にしたのだ。

「僕が食べました。」顔にはそうはっきりと書いてある。ただ、嘘をつくその息子の目が一生懸命過ぎて、私は何も言えず「そっか。」とその場を離れてしまった。

しばらく妹とテレビを見ていた息子。しかしその背中は何かを言いたがっているよう。すると突然息子は立ち上がり、「お母さんごめんなさい。お母さんのお団子僕が食べちゃったの。」そう言って泣きじゃくる。「そう。嘘をついてどんな気持ちだったの?」「つらかった。」

そうだよ息子。嘘はね、つくと心がとっても苦しいんだよ。だから嘘はもうつかないでね。

彼の初めての嘘、そして初めての葛藤、謝る勇気。6歳の息子の初めては、またひとつ私を母親にしてくれた気がした。

天風 浮和さん(京都府 / 20代)

高校受験当日、僕はかなり緊張していた。試験が始まり、頭が真っ白になりそうながらも、なんとか問題を解いていった。いつのまにかチャイムが鳴り、答案用紙が回収される。午後からも試験があったが、僕は不安でいっぱいだった。

僕はひとまず心を落ちつけようと、家から持参したお弁当を食べることにした。すると、お箸の上にメモ用紙が、母親からだった。紙には「試験お疲れ様。出来なかったことより出来たところを褒めて午後からも頑張れ!」と。

周りが試験科目の復習をしている中、僕は笑った。ご飯を食べてから、その紙の裏に「ありがとう。午前はあんまりよくなかったけど、午後からはこれで頑張れる!」と書いて、午後の試験に挑んだ。

家に帰ってきたら母親に「どう?」と聞かれた。僕はただ「美味しかったよ」とだけ。母親は僕の答えに不満げだった。ただ、お弁当を洗おうとした時、笑顔に変わったことをいつまでも心に留めておきたい。

Eeeeoさん(山梨県 / 10代)

幸せって何だろう。そう考えた自分がいた。小さな幸せに気付かない自分がいた。

誰だって、辛い時はある。でも、それを乗りこえなくてはいけない。私は辛い時、ある本を読んだ。ズタズタになっていた私の心にまるで除夜の鐘のように響いた言葉があった。「辛いっていう字、よう見てみ。ちっちゃい横棒、上の方につけたら、幸せになんねん。つまり、辛い事が立て続きに起こったら、神様がこの横棒を付け忘れたと思うたらええねん。それに気付いたら、自分で横棒を探すねん。幸せになれる横棒は案外あなたのそばにある。」と。今の私に必要なのは、この幸せになれる横棒なんだ。それから私は、その横棒を探し歩いた。だが横棒は道端に落ちている物ではない。だから私は、小さな小さな幸せに目を向ける事にした。花が咲いて幸せ。ご飯が食べられて幸せ。勉強できて幸せ……なんだ。私の周りにはたくさんの幸せが落ちている。それを私は溢れるほど拾い上げた。

辛い時は、幸せの横棒を探そう。それがたくさん集まれば、立派な一字になるだろう。

車イスの風来坊さん(東京都 / 50代)

車イスでの生活を送る私は無類の酒好きで、わが家の近所の居酒屋“とまり木”にもふらりと初めて入った。ただ、たいていの個人経営のお店がそうであるようにトイレは狭く、車イスのままでは入れなかった。だからトイレに行きたくなるたびに「ちょっと失礼してきます」と声をかけてから外に出て、人目につきにくいスペースで尿瓶を使って用を足した。くわえて出入り口につづく通路もかなり狭く、車イスで通り抜けるのにひと苦労した。16年前に脱サラして奥さんと共に営業を開始したというマスターは、その様子に「狭くてゴメンね……」とサッと手を貸してくれた。瞬間、マスターとの親近感を察知して、夫婦が手分けして作る料理の美味しさにも惹かれ、それ以降も何度か足を運ぶようになった。

そんなある日、お店の前を通ると「店内改装のため、半月ほどお休みさせていただきます」との張り紙。それを見て、とっさに「バリアフリーになるかも!」という期待が走った。そして半月後、それはまさに現実のものに。マスター曰く、「改装工事をするにあたって、真っ先に松兼さんのことを思い出して、車イスでも使いやすい設計にしようと思ったんだよ」。トイレも通路もバリアフリーになった店内は、マスターと私の思いが結び留められた証しでもあった。おかげでトイレの心配がなくなり、今では週に一度は必ず通うお店は文句なく、身も心も落ち着ける私の一番の“とまり木”になった。

増田 利信さん(静岡県 / 40代)

増田 利信さん(静岡県 / 40代)

「おとうさん、親孝行なにも出来なかったけど

今日まで育てて戴いて本当にありがとうございました。」

正座をしていままで耳にしたことのない様な丁寧な口調でワタシに頭を垂れている。長年一緒に生活してきた娘なのに、一瞬知らない女性を見ている様な錯覚に陥った。

大きくなった。本当に大きくなったなぁ。

オマエが生まれた日のことは昨日の事のようにはっきりと覚えているよ。

初めて抱かせて貰った病院で大泣きしてるワタシの横にいた看護婦さんが、おとうさんソックリって大笑いしてなぁ。

初めてお風呂にいれた時、うっかり手をすべらせ顔をお湯につけてしまって、オマエが泣き叫ぶもんだからおかあさんにすごく怒られたっけ。

小学生になって初めて男子を家に連れて来て、帰るとき靴が見当たらなかっただろ?あれ、ワタシが隠したんだ。スマン。

高校1年の時、ちょっと帰りが遅くなっただけなのに大声で怒鳴って。ワタシが勝手に心配しすぎていたのかもな。スマン。

今日まで育ててくれてありがとうってオマエは言ってくれたけど、違うよ。そうじゃないよ。

ワタシから嫁ぐオマエに言わせてくれないか。

「今日まで、オマエを育てさせてくれて本当にありがとう。」

嘉久 記章さん(静岡県 / 50代)

工事現場の安全の為、急いでいる車を一旦停止させたり遠回りさせる仕事を十年以上もやっている。いわゆるガードマンである。

喜ばれる筈がなく、しょっ中怒られたり怒鳴られる。つい先日も、車を一旦停止させた。ドライバーを一目見て、冷や汗が出た。黒いサングラスをかけ、ド派手な衣装をつけた、筋骨隆々とした、見るからに凶暴でおっかない顔つきのオジサンだった。

雷みたいな声で、早速かみついてきた。

「てめェ何でこんなトコで止めてんだバカヤロ!一体、何の工事してやがんだ!?」

水道管を埋める工事だった。恐くて恐くて嫌で嫌で。ベソをかいて逃げ出したくなったが、相手の目を見て、はっきりと言った。

「皆さんにおいしいお水を飲んでもらう為に頑張っています。御協力お願いします!」

その一言で鬼みたいだったオジサンはピタリと黙った。そして信号が青になると「ガンバレ」と言うように手を上げて走り去った。

五十の爺さん(青森県 / 50代)

去年の一月一日に孫が生まれた。かわいい。それ以外の何物でもなかった彼は、幸せな日々を僕たち家族に与えてくれた。

半年が過ぎた頃、妻が言った。

「私に一番なついているから、絶対“ばあば”って言葉を先に覚えるわ。“ママ”は仕方ないにしても、その次は絶対“ばあば”よ」

それ以降、彼女は彼を抱き上げるたびにその言葉を繰り返していた。

数カ月経ったある日の朝、子供を抱いた彼女が居間に駆け込んで来た。

「言ったわよ。“ばあば”って。やっぱり私を一番先に覚えてくれたわ」

子供が多少窮屈そうにしてるのも構わず、彼女は強くその頬をこすりつけて喜んでいた。その顔を見ながら僕は思った。前の日の夜、寝顔を見に言った僕に「じいじ、じいじ」とこの子が手を伸ばしてきたことは黙っていようと。

子供のかわいさに変わりはない。妻のささやかな喜びも大事にしたい。何よりもこの幸せがこの先ずっと続けばそれでいいのだ。

きぃいろさん(東京都 / 20代)

久しぶりに実家に帰った。就職して4年目。朝から終電なんて当たり前、ご飯は外食、自宅には寝に帰るだけ、休日出勤なんて珍しくない。やりたいことやってるハズ……なのに、毎日なにかをすり減らしてしまっているような気がしていた。

母は「おかえり」なんて出迎えたそばから、「煮物宜しく」といって洗濯を取り込みに行ってしまう。妹達にはお土産をせがまれ、父は晩酌の相手をしろと言う。相変わらず実家はかしましい。料理は好きだ。実家は自営業のため、家事はよく手伝った。祖母と残りの料理を仕上げ、程なくして、久しぶりに家族揃ってのにぎやかな夕食がはじまった。

実家に帰って3日目。そろそろ東京に戻らないといけない。荷物をまとめて母に声をかけた「来るのも戻るのも突然なんだから……」とぶつぶつ言いながら紙袋を手渡された。「行ってきます」といつものように家を出る。

東京に戻って紙袋をあけると、野菜や缶詰めが入っていた。見慣れた布の包みには、母の握ったおむすびが入っていた。私の好きなシャケとタラコ。一口食べて、思わず涙がこぼれた。会社を辞めたのは先週のことだった。平日に帰ったのに、父も母も何も聞かなかった。手の中のおむすびには、まだ、じんわり温かさが残っていた。私は、少ししょっぱくなったおむすびを夢中で頬張った。

☆HASSY☆さん(宮崎県 / 10代)

僕の家には今、2匹の犬がいる。2匹共、メスのトイ・プードルで、僕の誕生日と母の誕生日それぞれに出会った犬だ。いつも一緒に生活していて、大変なことも、時には癒されたりと、色々なことがあった。

ある日、いつものように学校から帰ってきた僕は、何やら玄関にゴミが散らかっているのに気付いた。家に入ると、妹の方のシルクが、僕が管理していたお菓子を、ほとんど食べてしまっていた。

その夜、シルクは様子がおかしく、一晩に5回吐いた。お菓子を管理していたのは僕なので、僕は親に酷くしかられてしまった。お菓子をほとんど食べられたことにもだが、シルクのせいで自分がしかられたと思い、僕は翌日シルクを酷くしかってしまった。

その日から、シルクは僕に全く寄らなくなった。体を寄せて寝ることも、甘えてとびついてくることも。

半年後、学校でとても辛いことがあり、家に帰った僕は、泣いていた。どうせ自分は一人なんだと、信じられる人はいないのだと思っていた。するとその時、懐かしい音色が聴こえた。それは、シルクの首輪の鈴の音だった。シルクは、僕の隣に座り、僕の涙をペロペロとなめてくれた。僕は涙が止まらなくなった。それと同時に、何か胸にこみ上げるあたたかいものが生まれた気がした。

僕はこの気持ちを、一生忘れないでおきたい。

バーボンさん(栃木県 / 10代)

この前、親父と喧嘩した。ほんのささいな事がきっかけだったが、それから互いに激しく怒鳴り合った。激しくぶつかりあった。最後に親父は「もうお前に飯は作らない!」と言って食卓を去ってしまった。その日の夕飯は親父が作ったものだった。食卓から離れ、自室の中で俺はずっと親父のことを考えていた。初めは親父に対して腹が立っていた。独りでぶつぶつ親父への文句を呟いていた。そのうち、イライラしなくなり、だんだん虚しくなっていた。同時に後悔の気持ちも湧いてきた。何故あんな喧嘩が起きてしまったのだろうと……。

翌日の朝食は、母が作ったものだった。俺の心の中は昨日の親父の言葉が鋭く突き刺さったままだったので、僕の心は不安でいっぱいになった。もう本当に親父は俺に料理を作ってくれないのではと……。

その日は、学校で数学の補習があった。俺は問題が全然解けず、補習が長引いてしまった。結果的に、帰りは9時過ぎになってしまい、俺は体も心も疲れきっていた。しかし、早く家に帰りたいとは全く思うことが出来なかった。家に帰っても、親父との仲は戻っていなかった。仲直りがしたいと思うようになったのはいつからだろうか。もはやイライラした気持ちは跡形なく消え、代わりに後悔の念と悲しみが溢れ出た。目から零れ落ちる涙と共に……。

9時を過ぎた辺りに帰宅した。学校を出るのが遅くなった上に、自転車のペダルを漕ぐ力はいつもの半分くらいしか出なかったからだ。玄関に入ると、親父が立っていた。そして一言「飯を食べるか」と、喧嘩前の優しい声で俺に聞いてくれた。俺はただ一言「うん」と言った。そしてその後父親にこう言うことが出来た。「ごめんね」と。

人間の間柄は、意外と離れやすい。でも俺はこう思う。離れたら離れたでまた止め直せば良い、前よりしっかりと止めれば……。